#2 甘すぎるHoney trap 1

 事の始まりは、家政婦のヴェデッドからの要望だった。
 子どもたちの学校行事や、病気などの急な用事の時のために、代理の家政婦を立てさせてほしいと言うのだ。
 他でもないヴェデッドの希望である。スティーブンは、もちろん快諾かいだくした。

 そして、研修に来たのが、彼女である。
 「アリシアです。よろしくお願いいたします!」

 東洋の血筋だろうか。
 黒々とした髪に、華奢きゃしゃな体つき。
 目の色は、存外明るいライトブラウン。
 耳障りの好よい、甘い声。
 小柄だが、てきぱきとよく働く、笑顔のかわいい、普通の女性だった。

 ――時折、探るような眼をしてくること以外は。

 
 彼女とは、一度だけ面識があった。
 しばらく前、街中で偶然ヴェデッド一家と会った時に一緒にいた子だ。
 ヴェデッドの子どもたちに両手を取られ、振り回されていたのを、スティーブンは覚えている。

 「やあ、ヴェデッド。子どもたちとおでかけかい?」

 そうヴェデッドに話しかけた途端、はじかれたようにアリシアがスティーブンを見、目を見開いたのを、彼は視界の端はしで確認した。
 その時からすでに、この探るような視線をチラチラと投げかけてくるのが気になった。

 彼には、自分の見目がいい自覚はある。
 それを理由に、初対面の女性に不躾ぶしつけな視線を投げられることは、珍しいことでもない。

 しかし、彼女――アリシアの視線は、そんな浮うわついたものとは違うように思えた。

 (何か、目的があって、俺に近づいてきたわけか……)

 そう捉とらえるのは、自然なことだった。

 

 彼の正体は、秘密結社ライブラの一員、スティーブン・A・スターフェイズ。
 実際、組織を取り仕切る役割を担うスティーブンに近づき、情報を得ようと狙ってくる輩は今までもいた。

 一般人として、様々な場所で別々に仲良くなった友人たちが、実は全員裏で繋がったスパイだった、ということもあった。
 それ以来、人間関係にはより慎重になっている。

 そんな中でも、ヴェデッドは彼が心許せる数少ない一般人の一人なのだが、だからと言って彼女の同僚が信頼できるかと言えば、それはまた別の話だ。
 むしろ、スティーブンが信頼するヴェデッドだからこそ、糸口として利用されたと考えれば、合点がいく話である。
 ヴェデッドを経由することで彼の警戒を解きやすくしながら、信頼を得られなかった場合は、ヴェデッドを人質にすればいいわけだ。
 狡猾こうかつな相手である。

 そう。
 (やり口は狡猾なのだ、が……)

 どうにもこうにも、人物設定が純朴すぎる。

 「おはようございます、スティーブンさん!」
 仕事に入るたびに、パアッと明るい笑顔を向けてくるアリシア。
 イメージするのは、小動物だ。
 くるくるとよく動き回り、表情豊かで、素直が過ぎる。
 ヴェデッドの研修を受けているときも、とてとてとヴェデッドの後をついて回り、ふんふんと頷きながらメモを取り、時折褒められて破顔する後ろ姿にはぶんぶんとふられるしっぽでもついているかのようだった。
 本来なら、人に好かれる人柄だろう。

 だが、ここはヘルサレムズ・ロットだ。
 地味ながらもそれなりに顔立ちの整った30手前の人間の女性が、この街で維持できるキャラクターではない。

 だが、それも、まずはヴェデッドに取り入ることに重点を置いたのだとすれば、納得できる。
 将を射んと欲すれば先まず馬を射よ、というやつだ。
 
 ヴェデッドによると、アリシアはヘルサレムズ・ロットのいざこざに巻き込まれて両親を亡くしている。
 そのショックで引きこもっていたところを、近所に暮らすヴェデッドが心配して声をかけ、食事の世話をするようになり、
 最終的には、一時期居候状態だったらしい。

 ヴェデッドは、通りすがりの野良猫を、わざわざ車を停めて迎え入れるような女性だ。
 彼女の同情を買うには、十分な設定だろう。
 
 「居候している間に、わたしが家事全般を仕込んだんですよ」とヴェデッドは胸を張った。
 なるほど、プロ意識の高いヴェデッドの教育のたまものか。研修も手短に終え、2週間後には一人で来るようになった。
 
 しかし、ヴェデッドの子どもたちはもう、小学校に上がっている。
 育児を理由に代理を立てるには遅すぎるだろう。
 今まで問題がなかったということは、頼る当てがあったはずだ。
 今になって急に代理をたてるのも、不自然な話である。

 一見、辻褄つじつまが合っているようで、爪が甘い。
 甘すぎるのだ。

 とはいえ、相手の目的もわからず、何か仕掛けてくる気配も今のところはない。
 相当、用意周到に今の立場を手に入れている相手だ。そうやすやすと尻尾は出さないだろう。
 (しばらくは、泳がせておくのが得策か――)

 「旦那様、アリシアの仕事ぶりはどうでしたか?」
 アリシアが仕事に入った翌日、ヴェデッドに尋ねられた。
 「うん? ああ――……とてもいい子、だね」
 スティーブンが微笑むと、ヴェデッドも、そうでしょう、と嬉しそうにほほ笑む。
 ヴェデッドは、ずいぶんとアリシアを気に入っているようだ。

 (極力、ヴェデッドを傷つけないようにすませなければ、な)

 さて、相手は何者で、どう出てくるつもりなのか。
 気になる点はいろいろあるが、ひとまず、今日は仕事だ。
 「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ、ヴェデッド」
 「ええ、お気をつけて行ってらっしゃいませ、旦那様」
 いつも通りの笑顔を受けて、家を出た。

拍手ありがとうございます ! よろしければメッセージをどうぞ !

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です